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横井先生の記事

不朽の三島文学-単なる余興

突然ですが、私が作った「国語の問題?」と「解説?」です。

 

【問題】
次の文章は三島由紀夫「雨の中の噴水」の中の一節です。「○○○○!」に入る言葉(4文字)を答えなさい。

 

その一言を言っただけで、自分の力で、青空も罅割れてしまうだろう言葉。
とてもそんなことは現実に起こりえないと半ば諦めながら、それでも「いつかは」という夢を熱烈に繋いで来た言葉。
弓から放たれた矢のように一直線に的をめがけて天翔ける、世界中でもっとも英雄的な、もっとも光り輝く言葉。
人間の中の人間、男のなかの男にだけ、口にすることをゆるされている秘符のような言葉。
すなわち、「○○○○!」

 

【解説】
入学試験のシーズンです。入学試験に国語はつきものですが、これがまた厄介なものです。
私の時代もそうでしたが、小説の一部を勝手に切り取ってきたりして、主人公の気持ちを50字以内で説明しなさいとか、主人公がなぜそのような言葉を発したのか理由を説明しなさいとか、どうでもいいようなことを根掘り葉掘り聞いてきて受験生を困らせるのです。
塾や予備校では、「正解を導くための考え方がある。」などと教えているようですが、果たしてそうなのでしょうか。
上記のような悪問であれば、正解などわかるはずがありません。
そもそも小説に正解なんて必要なのでしょうか?

 

三島由紀夫の短編「雨の中の噴水」。
傑作です。
三島の思想信条や行動様式には反感を覚えるのですが(私は右翼も左翼も嫌いです)、文筆家としての三島を尊敬しています。
比類なき言葉の魔術師。卓抜した表現力を持つ文豪。間違いなく彼は天才です。

 

ところで、問題の答えですが、「アホバカ!」でないことは明らかです。
では「愛してる!」でしょうか。
違います。三島ほどの人物がそんな陳腐な言葉を「世界中でもっとも英雄的な、もっとも光り輝く言葉」などと大仰に形容するはずはありません。

 

「○○○○!」は、この短編に登場するごく普通の少年が放つ決定的な言葉です。
少年と少女の可愛らしいコントに残酷さと俗悪さを混入する強烈な言葉。
青空が罅割れるような言葉であり、「いつかは」という夢を熱烈に繋いで来た言葉であり、かつ秘符のような言葉なのです。
正解は新潮文庫「真夏の死-自選短編集-」(三島由紀夫著)の331頁にあります。

 

たった13頁の短編ですが、読めばなぜ「○○○○!」なのかがよくわかりますし、それがなぜかくも大げさに形容される言葉なのかが理解できます。
三島の才能に脱帽。お奨めの一編です。
(横井盛也)

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治安大国日本-刑法犯12年連続減少

警察庁がまとめた昨年1年間の刑法犯認知件数(暫定値)は121万2240件で、12年連続で減少したと報道されています。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG08H4N_Y5A100C1000000/

 

認知件数ですから届出されていない暗数がどれだけあるか不明です。
(昨年発覚した大阪府警の不正計上のようなことはないと思いますが)統計上の処理による誤差も考慮に入れる必要もあるのでしょう。
確かに振り込め詐欺等の知能犯罪は増加しているようですし、社会の耳目を集める凶悪犯罪がなくならないのも事実です。
でも、犯罪が減っていることは、実感としても確かなことだと思います。

 

私が生まれた50年前と比較すると差は歴然です。
殺人は、1964年が  2366件に対して、2013年は  938件。
傷害は、1964年が  61282件に対して、2013年は 27864件。
強姦は、1964年が  6857件に対して、2013年は   1409件。
半世紀で激減しています。
「犯罪情勢は悪化し、凶悪犯罪は深刻化している」などという体感治安の悪化は根拠を欠きます。
有史以来、我々は最も平和で安全な世の中に暮らしているのだと思います。
安全神話が毫も揺らいでいないことは、外国との比較でも明白です。
警察白書  http://www.npa.go.jp/hakusyo/index.htm
犯罪白書  http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/nendo_nfm.html

 

防犯カメラが街の隅々にまで設置されるようになったから?
教育が充実し、遵法精神豊かな国民が増えたから?
法定刑の引上げを始めとした刑法等の改正を次々に行ったから?
暴対法のおかげ?それとも死刑の威嚇力?
マスコミの犯罪報道が以前ほど過激でなくなったから?
生活保護等のセーフティーネットが機能しているから?
刑事司法や刑事政策が充実しているから?
弁護士が有り余るほど増えたから? ←あまり関係ない (-_-;)。
何がどの程度影響しているのかはわかりませんが、何はともあれ犯罪が減ることは喜ばしいことです。

 

さらに安心安全な世の中を目指して不断の努力を続けることは当然のこととして、日本が治安大国であることを誇りに思います。
(横井盛也)

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宮沢賢治「やまなし」-日本の教育レベルの高さに驚愕

二疋の蟹の子供らが青じろい水の底で話していました。
「クラムボンはわらったよ。」
「クラムボンはかぷかぷわらったよ。」
「クラムボンは跳ねてわらったよ。」
「クラムボンはかぷかぷわらったよ。」
上の方や横の方は、青くくらく鋼のように見えます。
………
宮沢賢治の「やまなし」の冒頭部分です。
「小学校の国語の教科書に載っていたアレだ!」と直ぐにピンときました。

文庫本でたった8頁の短編ですが、その難解度は半端なものではありません。
<クラムボンって何者なの?>
<かぷかぷわらうって、どんな笑い方?>

 

次の場面です。
「クラムボンは死んだよ。」
「クラムボンは殺されたよ。」
「クラムボンは死んでしまったよ…。」
「殺されたよ。」
「それならなぜ殺された。」兄さんの蟹は、その右側の四本の脚の中の二本を、弟の頭にのせながらいいました。
「わからない。」
魚がまたツウと戻って下流の方へ行きました。
「クラムボンはわらったよ。」

 

何が何だかわからないのです。
<どうして殺されて死んでしまわなければならなかったの?>
<なぜ殺されるのに笑っていられるの?>
<わからないとは無責任だ!>
<クラムボンを殺したヤツを逮捕しなければ!!>

 

蟹の兄弟の会話に頭がくらくらしそうです。
小学生のときも何が何だかわからなかったけれど、40年近く経った今でも何が何だかよくわからないし、何度読み返しても感動しないのです。
私にとっては、村上春樹や東野圭吾の方が格段に感動します。
豊かな抒情によって高い評価を受ける宮沢賢治。その童話を理解できない私には文芸を理解する能力が欠けているのでしょうか?

 

大学生の娘と中学生の息子に悩みを打ち明けると、2人とも「小学校の国語の教科書に載っていたが、よくわからなかった」とのこと。
いまだに教科書に載っていることに驚き、意味不明との感想に「やっぱり」と妙に納得しました。

 

大人が読んでも理解できない難解な短編を小学生に読ませるとは。
日本の初等教育レベルの高さに驚愕した次第です。
(横井盛也)

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「21世紀の資本」トマ・ピケティ-格差社会は拡大し続けるのか

フランスの経済学者トマ・ピケティの「LE CAPITAL AU XXIe SIECLE」が世界に衝撃を与えています。
大部で難解な経済専門書(英訳本「Capital in the 21century」は696頁)であるにも関わらず、米国では出版から僅か3か月で40万部を突破する大ベストセラーとなり、各国で翻訳本が出版されています。
賛否両論巻き起こる中、ノーベル経済学者ポール・クルーグマンやジョセフ・スティグリッツらが絶賛して話題になるなど今後しばらく世界中の経済学界を二分して激しい論戦が繰り広げられることは間違いありません。
日本でも邦訳版「21世紀の資本」がみすず書房から出版され(山形浩生ほか訳、706頁、5500円)、同時に池田信夫「日本人のためのピケティ入門」(東洋経済新報社)、苫米地英人「21世紀の資本論の問題点」(サイゾー)、竹信三恵子「ピケティ入門」(金曜日)などの解説本も出版されています。
世界の潮流に遅れまいと、上記4冊を買い込み、格闘してみました。(精読したのは解説本だけですが…)

 

「r>g」。
ピケティ理論は、3世紀にわたる20カ国以上の膨大な歴史的データを分析して、r=資本収益率が、g=経済成長率を常に上回っていることを実証し、資本を運用して得られる利益が労働によって得られる利益を上回り続けているのだから、資本を持つものはますます富み、持たざるものとの経済格差は広がり続けるというものです。
そして、これを解消するためにはグローバルな累進的資本課税が必要であると説くのです。

 

ピケティ自身が「本書に書かれた答えは不完全で不十分なものだ」と認めるとおり、歴史的データは恣意的との批判を跳ね返せないのではないかと思われるほど多分な推測を含んでいますし、理論も未だ精緻なものではありません。
グローバルな累進的資本課税の実現は「有益なユートピア」に過ぎません。

 

もっとも興味深いのは、第Ⅲ部「格差の構造」第12章「21世紀における世界的な富の格差」(446~485頁)でしょう。
「多くの人が、現代の経済成長では当然ながら相続よりも労働、そして出自よりも能力が重んじられると信じている。この広い信念の根拠は何で、それは本当に正しいのだろうか?」と挑み、世界の長者ランキングの推移、それが世界の富に占めるシェア、その富の築かれ方を分析し、「資本収益はしばしば、本当に企業家的な労働 (経済発展には絶対に不可欠な力)、まったくの運(たまたま適切な時機に、有望な資産をよい価格で買う)、そして明白な窃盗の要素を分かちがたく結びつけたものだというのが実情だ」と主張します。
刺激的ではありますが、ごく一部の億万長者が存在することによる経済格差が果たして世界経済に深刻な影響を与えるのか疑問であり、特殊な事例を一般化して論じる誤謬に陥っているのではないかとの疑念が拭い去れません。

 

「r>g」だとして、それが即、経済格差の増大に結びつくものなのか。
資本の拡大によって投資が促進され経済が成長すれば、それで皆が豊かになってよいのではないか。
新興国が成長力を高め世界全体では格差は縮小しているのではないか。
課題は、格差拡大を解消することではなく、貧困をなくすことではないのか。
経済学部は出ているものの頭の悪い私には、まだまだよくわからないというのが正直なところです。

 

ある程度の富の偏在や経済格差は資本主義にとって宿命です。
経済成長の持続にはインセンティブが必要で格差も生じます。
成功者を嫉み能力のある者の足を引っ張るような風潮は社会にとって決して好ましいことではありません。
貧困をなくすために格差解消が必要だとして、どの程度の経済格差まで許容するのかの線引きは困難を極めますし、正義にかなった格差解消政策の立案、実行はほぼ不可能であるように思えてなりません。

 

とはいっても極端な格差による貧困層の拡大を防止することは、世界を安定させ平和を守るためにも必要であり、ピケティの著作を契機に今後ますます経済格差や貧困の問題が論じられることでしょう。
経済学史や経済思想史の分野において末永く研究対象となるであろう価値のある一冊だと思います。

 

2011年に米国で「ウォール街を占拠せよ!」、「1%が富を独占し、99%の市民には富が分配されていない」という反格差社会の大規模なデモが起きたことは記憶に新しいところです。
ピケティ理論が安易に扇動の書として利用されないよう、理論の深化が望まれます。

 

ピケティのwebは、 http://piketty.pse.ens.fr/en/
(横井盛也)
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日本国憲法改正について 7

衆議院選挙で、自民党は291議席と公示前より4議席減らしたのですが、公明党は公示前より4議席増の35議席を獲得し、結局与党の合計は326議席と公示前と同じでした。民意の選択は「現状維持」ということなのでしょう。
とにかくここで大切なことは、衆議院において憲法改正の発議に必要な「総議員の3分の2以上」を維持したということです。
温存すれば国益を損ないかねない現日本国憲法の改正に向けて歩を進めてもらいたいものです。

 

ところで、現日本国憲法の41条には、「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。」とあります。
国の唯一の立法機関であることに問題はないと思いますが、果たして「国会は、国権の最高機関」と定めることが適切なのでしょうか?
確かに、国会は、「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。」(67条1項)、「国会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける。」(64条1項)と首相の指名権、裁判官の弾劾の権利を有していますし、国会議員には、不逮捕特権(50条)、発言・評決の免責(51条)が認められるなど強大な権力が与えられています。
だからといって「国権の最高機関」というのは、権力分立の趣旨に反するのではないでしょうか。

まるで、対義語である権力集中を規定しているかのようです。

 

権力分立は、権力が単一の機関に集中することによる権利の濫用を抑止するため権力を分離し、各権力相互間の抑制・均衡を図ることで、国民の権利・自由の確保を保障するするシステムです。
歴史の中で培われた現代国家に共通の普遍的な憲法上の基本原理といってもよいでしょう。もちろん現日本国憲法も権力分立を採用しています。
国会の立法に対して違憲立法審査を行うのは司法ですし、内閣の助言と承認に基づいて天皇が国会を召集し、衆議院を解散します。
憲法改正の承認は国民投票によります。

 

ロシア革命のスローガンは「すべての権力をソビエト(議会)に」というものでした。
すなわち、民衆は議会への権力集中を目指したのです。
しかし、ソ連が誕生し、議会が成立した後、権力は共産党に、さらには共産党の一部の幹部に集中していったことは紛れもない史実です。

 

浅薄な思慮の下で国会を「国権の最高機関」と謳い上げることは、独裁を生み出す危険を孕んだものであり、無意味なだけでなく有害だというのが私の意見です。
(横井盛也)

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