判決をコピペで作成することの合理性-裁判所が求める書面の電子データ
- 2015-02-08 (日)
- 横井弁護士
裁判所から準備書面等の電子データを求められることがあります(民訴規則3条の2)。
コピー&ペーストで判決を書くためです。
これを見越して最終準備書面は、できるだけ判決に近い形をイメージして書くのが得策と心得ています。
ところが、電子データを求められない場合も多く、「提出しましょうか」と水を向けても乗ってこない裁判官も多いのです。
確かにコピペによる判決は、「安易な手抜き」につながる危険がありますし、奥深い判決理由が書きにくくなる、若手の裁判官の文章力が向上しない、といった弊害もあるのでしょう。
でも、準備書面を見ながら一から書くより、ずっと楽ですし、時間の節約にもなります。双方の主張を誤解して判決するリスクも減少するはずです。
裁判官が担当する事件数は半端ではなく、判決を書きたくない(書く時間がない)ために強力に和解を勧めるケースも多いことを考えれば、コピペによる判決の作成は、それなりに合理性があると思います。
今般、久しぶりに大阪地裁の知的財産権専門部に事件が係属しました。
同部は全件において、訴状、答弁書、準備書面の提出の際に電子データを提出するよう要求しています。
しかも、書面や書証は通常1通でよいところ、各裁判官や書記官が常時1通ずつ持てるように4通提出しなければなりません。
合理主義が徹底しています。
知財専門部。合理的で審理が迅速なのはよいのですが、冷酷非情で血も涙もない判決を出す怖いところというのが、経験に基づく個人的印象です。(~_~;)
判決理由に思いっきりたくさんコピペしてもらえるよう念には念を入れて立派な準備書面を書くよう努めます。
(横井盛也)
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「イスラム国」の暴挙-国際法の無力
- 2015-02-02 (月)
- 横井弁護士
「イスラム国」が邦人2人の人質を殺害した行為は卑劣極まる蛮行であり、断じて許すことはできません。
世界は決して平和ではなく、微妙なパワーバランスで成り立っています。
現行日本国憲法のいう「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」して、9条を守れば日本の平和が保たれるという考えが幻想に過ぎないことは、本件やその背景にある中東情勢からも明らかです。
ところで、「イスラム国」(Islamic State=IS)は、シリアとイラクの領域の一部を実効支配し、2014年6月に国家樹立を宣言しましたが、国家として承認されているわけではありません。
あくまでイスラム教スンニ派の武装勢力、過激テロ組織です。
しかしながら、各種報道等によると、実効支配地域内では税金を徴収し、省庁や治安組織も構築して次第に国家としての体裁を整えつつあって、少なくとも800万人の住民を統治下に置いているとされています。
彼らの「国家」は、これまでの国家の通説的理解、すなわち「一定の領域、永続的住民及び政府を備え、政府が対内的に実効的支配を行うとともに対外的に他の主体から独立して行為することができるもの」(1933年:国家の権利義務に関する条約)とは異なります。
そもそも彼らは、英仏露が領土分割のために1916年に秘密裡に結んだ「サイクス・ピコ協定」に不服で、イラクとシリアの国境線の打破を目標の1つにしていましたから既存の国境線などお構いなしですし、拡大を目指す実効支配領域に国境線など必要ありません。
複数国家の一部を支配し、それでいて国家としての体裁を整えつつあるところが不気味です。
国家とテロ組織の戦闘は、国家間の戦争より対処が困難です。
国家間の戦争のように国際法に基づいた降服や講和などといった概念も通用しません。
戦闘員と民間人の区別がつかないテロ組織のゲリラ戦に終わりはなく、戦闘が泥沼化することは必至です。
国家的規模にまで成長してしまったテロ組織をどう封じ込めるのか。
一筋縄ではいきません。
交通や通信の進歩により、国境を越えて人、物、金、情報が行き交うグローバル化が進めば進むほど国境線の持つ意味は相対的に低下することでしょう。
未来永劫、世界の国々は国境線を持つ国家として存続し続けることができるのでしょうか。
そんなことまで考えさせられる事件でした。
(横井盛也)
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提言3-解読不能の高裁判決
- 2015-01-31 (土)
- 横井弁護士
高裁民事の判決は一読して理解できる代物ではありません。
法律家でない人には馴染みがないでしょうが、原判決を参照しながら解読するほかないのです。
例えば、先日受けた高裁判決の判決文は全部で9頁あるのですが、そのうち7頁は、「原判決の補正」で占められています。
「第1 控訴の趣意」、「第2 事案の概要」に続いて、「第3 当裁判所の判断」、「1 当裁判所も、控訴人の請求は棄却すべきものと判断する。その理由は、次の2のとおり補正するほかは、原判決に記載のとおりであるから、これを引用する。」と記した後、「2 原判決の補正」が7頁にわたって延々と続いているのです。すなわち、
(1)原判決●頁○行目の「△△」の次に「□□」を加える。
(2) 原判決★頁☆行目から◆頁◇行目までを以下のとおり改める。「ИД∥ш…」。
(3)原判決*頁※行目の「(―_―)」を「(*^_^*)」と改める。
(4)原判決§頁Θ行目の「(・。・;)」を削る。
(5)(6)…といった具合です。
原判決は全部で27頁。どこがどう補正されたのか参照しながら読み解くのは至難の業です。
この件では、控訴審で事実関係についての主張が追加されたために大幅な補正が必要になるのもやむを得ない面もあるのですが、誤字脱字等も多数指摘されています。
一審被告の当方は、地裁も高裁も完全勝訴ですから、いちいち解読する気など微塵も生じません。
実のところ完全にスルーです。
高裁はいったい誰のために判決を書いているのでしょうか。
高裁判決の書き方を改めるべきです。
原判決を補正するなら原判決の電子データを入手して、添削モードで補正して2色刷りにした方がずっと読みやすくなるはずです。
裁判所は思考停止に陥っているのではないでしょうか。
常に改善を心掛けるべき、と感じた次第です。
(横井盛也)
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格差社会と貧困問題
- 2015-01-24 (土)
- 横井弁護士
1月3日の当ブログ
≪「21世紀の資本」トマ・ピケティ――格差社会は拡大し続けるのか≫
http://www.law-yokoi.com/blog/?p=1056
に対する批判的な意見を聞きました。
曰く「勝ち組の驕り。拡大する格差を是正し、貧困層を救済すべきである。」と。
私は、勝ち組ではありません。
格差が拡大する社会が良いとも思いませんし、貧困層の増大や深刻化を阻止しなければならないと考えています。
批判は誤解に基づくものです。
といってもピケティ理論に懐疑的であることは事実です。
ピケティは、各種データを駆使し、格差社会は進行し今後も際限なく拡大してゆくと説いていますが、そうでしょうか。
例えば、世界銀行の発表している「世界の貧困に関するデータ」によれば、過去20年の間に貧困層の割合は多くの国や地域で飛躍的に低下しています。
1日1.25ドルの貧困ライン以下で生活する世界中の貧困層の数は、1990年が 19億人だったのに対して2010年は12億人と激減しています。
http://www.worldbank.org/ja/news/feature/2014/01/08/open-data-poverty
「富裕層に富が集積すること」と「貧困層が減少すること」は二律背反ではなく、どちらを強調するかによって格差社会拡大の有無について正反対の結論が導き出されます。
ピケティ理論は富裕層への富の集積についての分析に重心を置き過ぎています。
格差社会を論じる際に注目すべきは、富裕層よりもむしろ貧困層の方であるべきです。
バランスを失した議論に説得力はありません。
ところで、日本の「子どもの貧困」は深刻です。
http://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/h26honpen/b1_03_03.html
平成26年版「子ども・若者白書」(内閣府)によると、「子どもの相対的貧困率は1990年代半ば頃からおおむね上昇傾向にあり,平成21(2009)年には15.7%となっている」、「OECDによると,我が国の子どもの相対的貧困率はOECD加盟国34か国中10番目に高く,OECD平均を上回っている」とのことです。
日本国内では世代間の格差こそが問題です。
少子高齢化社会が進展する中、孫の財布をあてにして財政赤字を膨張させるシルバー民主主義を打破すべきです。
若者が安心して子を産み育てることができる社会、そして将来の日本を支える子どもたちが夢と希望を持って成長していける社会を実現することが喫緊の課題だと思います。
(横井盛也)
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法科大学院への補助金傾斜配分-議論の過ち
- 2015-01-19 (月)
- 横井弁護士
文部科学省が、来年度に法科大学院に配分する補助金の増減比率を公表したと報道されています。
http://www.nikkei.com/article/DGXLZO82054060X10C15A1CR8000/
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150117-OYT1T50023.html
規模に応じて機械的に割り振っていた方法から司法試験の合格実績や教育プログラムの内容に応じて現行比135~50%の差をつけて配分する方法に改めるというもので、実質的な平等を目指す改革として評価できそうです。
根本的な発想は、「法科大学院修了者の司法試験の合格率が20%台で低迷し、法曹志願者が減少する一因となっている。」というものです。
何としても法科大学院の再編を促し、修了者に対する司法試験の合格率を高めたいと考えているのです。
今回の傾斜配分で法科大学院52校のうち42校が削減の対象となり、経営困難から募集停止や統廃合がますます加速することは間違いないでしょう。
募集停止や統廃合が進むこと自体は悪いことではありません。
でも根本的な発想が誤っています。
逆です。
司法試験の合格率が高過ぎるからこそ法曹志願者が減少しているのです!
合格しても法律事務所に就職できない、過当競争で下手をすれば食っていくことすら難しい、そんな弁護士の現状が伝えられる中、法曹を目指そうという若者などいません。
司法試験の合格率や合格者数を激減させれば、法科大学院への入学希望者は激増するはずです。
かつて合格者が500人の時代、毎年約2万人の受験生が合格率2~3%の試験に挑んでいたのです。
合格者全員が就職できる(ボスの下で修業が積める)という程度の合格者数に絞れば、さらに給費制を復活させれば、安心して法科大学院を志望することができ、法曹を目指す者の数は増えるはずです。
日弁連会長が「自由と正義1月号」の年頭所感で、若者の法曹離れが急速に進行していることを嘆き、法曹養成制度の改革が最重要かつ喫緊の課題だと述べておられます。
そして、「地域適正配置と多様性の確保に留意しつつ、法科大学院の統廃合と定員の大幅削減を進め、その教育水準の向上を図ること」、「司法試験の合格率を向上させ、合格者をます年間1500人程度とすること」などに会を挙げて取り組んでいくとしています。
国際化の時代に狭い日本、地域の適正配分など考慮する必要があるのでしょうか。
飽和状態が言われて久しいのにまだ年間1500人の合格者が必要なのでしょうか。
ところで今回の傾斜配分比率の決め方なのですが、
「早稲田大は、海外のロースクールへの派遣プログラムなどが評価されて45%が加算され、最も高い135%になった。…東大は法曹実務を英語で学ぶ授業などで35%加算、同志社大は海外大学との単位互換プログラムなどで35%加算となった。」(日経新聞27.01.17)
と報じられています。 疑問です。
以前のブログにも書きましたが、法科大学院は、法律実務家を養成する場に徹するべきです。
最低でも2~3年は試験合格を目指して必死になって覚えるべきことを覚え、書いて書いて書きまくるほどの大量の起案をして基礎力をつける時期が必要です。
<合格するまでは合格するための勉強に専念する>といったストイックな環境を提供するのが法科大学院の使命なのではないでしょうか。
法社会学や比較法文化論などといった科目は試験後に独学すればよいと思いますし、法曹倫理は合格者を対象に司法研修所で学ばせるべき内容だと思います。
まして海外留学や英語で授業を受けるくらいなら、1本でも多くの訴状や準備書面を起案すべきだと思います。
(横井盛也)
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