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横井先生の記事

日本国憲法改正について 1

北朝鮮から今まさに核搭載弾道ミサイルが日本に向けて発射されようとしているときに、手をこまねいて傍観すべきなのか、発射基地を攻撃すべきなのか。

答えは明白です。

でも、それが日本国憲法で定めた自衛権の範囲内であるのか否か、そんな馬鹿げた議論が今日に至っても続けられています。

実に嘆かわしいことです。

日本もそろそろ自立した普通の国に生まれ変わるべきです。

 

国防軍を作ると戦争の危険が高まるというのは、警察を作れば犯罪が増えるというのとよく似た空虚な議論です。

ドイツは58回、フランスは27回、イタリアは15回。

第2次世界大戦後、世界の国々は、時代の変化や新たな課題に対応すべく憲法を改正しています。

マッカーサーがホイットニーに命じてほぼ8日間で作り上げた『植民地管理法』を不磨の大典として70年も温存し続けることが、主権国家のあり方としてふさわしいのでしょうか。

 

最も問題なのは、改正手続きのハードルが高すぎる点です。各議院の総議員の3分の2以上の賛成により発議という要件に合理性があるのでしょうか。憲法制定当時の(形式的な)国民の意思でもって、現在ないし将来の国民の意思を厳しく縛ることに正当性や合理性はあるのでしょうか。

間接民主制と直接民主制を程良く調和させるべく総議員の過半数の賛成による発議、国民投票の過半数の賛成を改正要件とすべく96条を改正すべきです。

 

自由民主党が昨年4月に発表した改正草案

www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf

を目下、研究中です。

例えば、その改正草案の第9条の3(新設)には、「国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない」とあります。

 

現行憲法は、前文で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と宣言し、平和を願い、諸外国の良識を信頼すれば足りるという姿勢です。

主権国家としてあまりに無責任ではないでしょうか。

 

核搭載弾道ミサイルの発射により罪のない善良な一般市民が危険に晒されているようなときに、国が主権と独立を守るために全力を傾注すべきは当然であり、その責務を定めた草案9条の3を是非とも新憲法に盛り込むべきだと考えています。
(横井盛也)
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されどアンケート 統計の功罪

当ブログで1月28日に北村弁護士が、「アンケートなんて」と題して「調査結果などなんとでもなるのです。自分の結論に合わせたい調査結果を探してくることも、自分の結論に整合的な調査結果がでるように調査することもできるのです。」と書いています。

 

世の中には杜撰なアンケートも存在しますし、弁護士会は会員に対し、杜撰なアンケートを頻回に行っていますが、暴論か戯言としか思えません。

まともな会社が統計学的手法を無視したアンケート結果を公表することはないと思います。

調査方法や回収率等を吟味することもなく調査結果が異なることだけをもって、「調査結果などなんとでもなる。」と述べることは、意図的に調査結果を作り出したかのような印象を与えるものであり極めて問題です。

 

少なくとも政府やマスコミが発表している統計や世論調査は、私の知る限り厳密に行われています。

確かに、質問の仕方によって回答が異なってきますし、調査方法によって実態と乖離した結果が出てしまうことがあるといった限界があります。また調査結果の評価については分析する者の主観が入りますのでメディアリテラシーが必要だという点はそのとおりです。

 

例えば、総務省が毎月発表している「労働力調査」。

http://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/tsuki/index.htm

昨年12月の完全失業者は259万人で前年同月に比べ17万人の減少。完全失業率(季節調整値)は4.2%。前月に比べ0.1ポイントの上昇とされています。

でも、この完全失業率は、実態より低めの数字になるといわれています。

その理由は調査方法

http://www.stat.go.jp/data/roudou/pdf/10.pdf

にあります。

毎月、層化2段階抽出法で選ばれた全国約4万世帯を調査員が家庭訪問して調査票を回収しているのですが、失業期間が長く職探しをあきらめたとたんに失業者ではなくなりますし、調査日の前月の最終週にたまたま臨時の仕事があって1時間でも働くと失業者にあたらなくなるといった事情があるからです。

また、一家の大黒柱が失業すると主婦をしていた配偶者や学生の子らも職探しを始めることで失業率を一気に押し上げるという事情もあり、上記の完全失業率4.2%が社会の実態を正確に反映したものということはできません。

とはいっても完全失業率や有効求人倍率の推移は、政策判断上の重要な経済指標となるものです。「アンケートなんて」というのはもってのほか、「されどアンケート」なのです。

 

ところで、衆院選や参院選の選挙期間中に新聞各社は選挙情勢として、選挙区ごとに例えば「○○氏が一歩リード。△△氏と□□氏がこれを激しく追っている。」といった記事を掲載しています。

私も新聞記者時代に書いたことがあるのですが、世論調査結果をもとにしています。

調査結果は、調査日の各候補の得票率や順位を統計学上有意に示したものです。さすがに調査結果をそのまま掲載することはありませんが、調査結果をもとにした選挙情勢の分析記事を選挙期間中に掲載することが果たして公正な選挙のためによいことなのか疑問に感じています。

 

ちなみに、公職選挙法138条の3には、「何人も、公職に就くべき者(…)を予想する人気投票の経過又は結果を公表してはならない。」といった規定があります。

(横井盛也)
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提言② 「医療過誤訴訟」を死語にすべきです

訴訟段階つまり未だ白黒がついていない段階で「医療過誤訴訟」という言葉を使うことは、医療側の過失の存在を連想させるので不適切だと思います。

 

医療をめぐる紛争には、患者側の単なる不平不満であるとか、病気が治らないことを医師の責任と考えているケースとか、重大な結果の発生であっても医療側に全く落ち度がない不可抗力といった事例も多く含まれています。

 

過失の存否の判断は困難を極めます。

最高裁の統計では

http://www.courts.go.jp/saikosai/vcms_lf/804008.pdf

平成23年の医事関係訴訟で患者側の請求が一部でも認容されたのは25.4%、平成22年で20.6%に過ぎません。

判決にまで至った訴訟で、医療側に過失がなかった(=医療過誤でなかった)とされるケースが3/4~4/5を占めるのです。

 

裁判所は「医事関係訴訟」との用語を使っています。

「医療過誤訴訟」の方が一般的によく使われていますが、「医療訴訟」、「医事関係訴訟」といった中立な言葉を使うべきではないでしょうか。

(横井盛也)
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公務員の駆け込み退職

退職手当を減額する条例の施行前に駆け込み退職する教職員や警察官が多数に上っているようです。

 

数か月早く退職した方が多くの退職手当を貰えて総額で多額になるというのですから、経済学的にみれば3月末の定年を待たずに駆け込み退職するという選択は至極当然で合理的な行動ということになるのでしょう。
現実的な問題として予定していた住宅ローンが返せなくなるなど様々な事情もあるのでしょう。

 

でも、重要な公務を永年勤めあげてきた教職員や警察官としてあまりに切ない去り際です。

 

「年度末まで職務を全うした人が損をするのはおかしい」という批判があるようですが、私はこの批判は当たっていないと思います。

 

<お金を払ってでもやりたいことがその人の天職>。
理想論かもしれません。
でも駆け込み退職する人に問いたいのです。
「これまで天職だと思って仕事をしていたのですか」と。
もし、高額な退職金をあてにして、楽しくもない仕事を続けていたのであれば、それはとても不幸なことです。

 

年度末まで職務を全うすることを選んだ人は、駆け込み退職者よりずっと豊かな人生を送ってきたであろうという意味で決して損はしていないのだと思います。
(横井盛也)

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法科大学院改革論

法科大学院の評価が芳しくないようです。

法科大学院廃止論、旧司法試験復活論、予備試験拡充論などが台頭していますが、私は、法科大学院改革論者です。

 

法科大学院修了を司法試験の受験資格とすること自体、何の問題もありません。

充実したカリキュラムで法律の本質を学者や実務家らからしっかりと学び、同じ志を持つ学生の間で切磋琢磨することは意義のあることだと思いますし、法曹を目指す者にかかる経験を要求することは決して不当なことではないと思います。

旧司法試験の復活や予備試験の拡充をすれば、かつてのように予備校の論証を丸暗記して知識を吐き出すといった偏った勉強を何年も続ける孤独な受験生を大量に発生させてしまうことでしょう。

 

法曹の質を保障するためには、司法試験の合格者数を絞ればよいのです。

毎年の合格者数が500人の時代と2000人の時代で合格者のレベルが異なることは当然であり、合格者のレベルが下がったのが法科大学院の教育のせいだという議論は成り立ちません。

司法試験(及び2回試験)の合格者数をどの程度にするべきかという議論と法科大学院の存廃の議論をリンクさせる必然性はありません。

法科大学院を存続させても修了認定を厳格に行い、司法試験の合格者数を絞れば、所期のレベルは保てるはずです。

また全員が就職できる(ボスの下で修業が積める)という程度の合格者数に絞れば(さらに給費制を復活させれば)、安心して法科大学院を志望することができ、結果として法曹を目指す者の数も増えると思います。

 

問題は、その法科大学院のありようです。

 

法科大学院の修了認定基準がバラバラで、司法試験受験資格の付与に著しい不平等が生じていることは看過できません。

各校共通の修了認定の基準を例えば「修了者に対する司法試験合格者の割合が何割以上になるレベル」と定め、それに満たない法科大学院の認可を取り消すといった方法で司法試験受験資格の平等化を図る必要があります。

 

また、法科大学院は、法律実務家を養成する場に徹するべきです。

数年間は試験合格を目指して必死になって覚えるべきことを覚え、書いて書いて書きまくるほどの大量の起案をして基礎力をつける時期が必要です。

<合格するまでは合格するための勉強に専念する>といったストイックな環境を提供するのが法科大学院の使命なのではないでしょうか。

法社会学や比較法文化論などといったものは試験後に独学すればよいと思いますし、法曹倫理は合格者を対象に司法研修所で学ばせるべき内容だと思います。M&Aや保険法なども実務についてから学べばよいと思います。

法曹三者の実務で必要なのは、基本的な法律の知識と起案力だというのが実感です。依頼者の言いたいことや考えたことを論理的、説得的に文章化できなければ仕事になりません。

教科書的知識の確認のためのソクラテスメソッド、学生の発表に対する学生間の質疑応答、文章を書くのは試験の時だけ、といった方法を改め、法科大学院は、基礎的な科目の起案中心のカリキュラムに変えるべきです。

 

私は、法科大学院の修了認定を厳格にし、教育内容を基礎科目の起案中心に変えれば、予備試験の拡充や旧司法試験の復活よりずっとよい法曹養成の仕組みが出来上がると確信しています。

(横井盛也)

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