- 2013-05-06 (月) 0:13
- 横井弁護士
お気に入りの静かな音楽を聴きながら展覧会で名画を鑑賞している。そんな気分にさせるほど作品全体に色と音が溢れています。
単純明快で何の捻りもないストーリーでありながら、美しく内省的で、人が生きるという行為の有り様をどこまでも率直に、繊細に、立体的に表現しています。
色や音や形といったものと無縁の精神世界をこれほど見事に心象風景として具現化し形象できる作家は村上春樹を措いて他にはいないでしょう。
今回も主観的で抽象的なハルキワールドに嵌りました。 ハルキストとして納得の一冊です。
乱れなく調和する親密な空間は永遠には続きません。
世の中は常に動き続け、時が人を変えてゆきます。
調和的空間が弾け飛び、深い森に迷い込んでから16年。
36歳になった「多崎つくる」は、心の深奥に仕舞いこんだ傷の理由を知るための”巡礼”の旅に出ます。
アオとアカ、それにフィンランドにいるクロ。
今はそれぞれの人生を生きる高校時代の友人との再会を通して、たった一人色彩を持たない「つくる」は気付きます。
「すべてが時の流れに消えてしまったわけじゃないんだ」と。
「記憶をどこかにうまく隠せたとしても、深いところにしっかり沈めたとしても、それがもたらした歴史を消すことはできない」と語り、それがとても危険なことだと忠告する沙羅の言葉が作品のテーマを象徴しています。
16年の歳月を経て変わるものと変わらないもの、消えていくものと消えずに残るもの。「つくる」の心を通してこれらを描くことでハルキは、時の流れに対してあまりに脆く崩れ去る友情の儚さ、それと裏腹な関係にある友情の尊さや美しさを表現したかったのだと思います。
5つの方向から来たベクトルが高校時代に時空線を交え、その後、否応なくそれぞれ定められた方向に散っていきます。
人生を歩んで行くなかで、選択の余地などほとんどありません。
(アカが新人研修で、ペンチで剥がされるのは足の爪がいいか手の爪がいいかを選ばせるエピソードは象徴的です。)
しかし、絶妙な調和を記憶の深奥に沈めたとしても、時空線が交わった美しい歴史は変わりません。
お互いを傷つけるのも、そしてそれを癒すのも友情です。
アカ、アオ、クロとそんな関係で結ばれている「つくる」を羨ましく思います。
ひょっとしたら「つくる」は色彩を持たないのではなく、無数の色が交わってできた自然光の透明なのかもしれません。
シロやグレイやグリーンについて最後まで不明確なことが読後の爽快感を阻害しているようにも感じますが、それがかえって妙な余韻をもたらして効果的に作用しているというべきでしょう。
ふわふわとした浮遊感、雲をつかむようなあやふやさが読者の心を惹きつけてやまないハルキ文学の真骨頂なのですから。
(横井盛也)
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