- 2013-01-06 (日) 17:33
- 横井弁護士
「六法全書」
法律家にとって、最も近くに置くべき座右の書に違いありません。
司法試験の勉強中、家族法の泰斗である恩師が、「法律家になるなら条文を大切にしなさい」と語っていたのを思い出します。
まず、条文を読んで考え、その後、教科書や判例を読んで考え、そしてまた条文を読んで考える。これこそが法律解釈力をつけるための王道だというのです。
含蓄のある大学者の言葉です。
シリーズの③で取り上げることの不覚を恥じ入る次第です。
でもご心配なく。常にデスクに鎮座していますので。
法律の条文は、味気も素っ気もないものですが、条文を的確に解釈し、事実にあてはめて魂を吹き込むのが法律家の仕事です。
たいていは法規の文章の意味をその言葉の使用法や文法の規則に従って解釈すればよいのですが、不都合が生じる場合には、法規自体の目的や趣旨、社会の要請などを考慮しつつ、法規の意味内容を目的論的に解釈することが必要になる場合もあります。
また、社会の実態に沿うように判例によって法の欠缺(不備ないし不存在)を埋め、法を形成することもあります。
例えば、旧民法709条は、故意または過失により「他人ノ権利」を侵害した者は、それによって生じた損害を賠償する旨定めていました。
それゆえ、大審院は大正3年の判決で、著作権のない浪曲の無断録音レコード販売について、たとえ正義の観念に反していたとしても「権利」の侵害はないと条文の文言通りの判断をしました。
ところが、大審院は、大正14年の判決で、「大学湯」という暖簾の売却について、具体的な権利でなくても「法律上保護セラルル利益」があるとして損害賠償請求を認めるに至ったのです。
この考え方は、その後も脈々と受け継がれて運用され、平成16年の民法改正で、条文上も「他人ノ権利」は、「他人の権利又は法律上保護される利益」と改められました。まさに解釈が法の欠缺を埋め、法を形成した一例です。
ところで、法律の条文は味気も素っ気もない、と書きましたが、日本国憲法の前文だけは例外です。
私は、改憲論者ですが、格調高い次の一節がお気に入りです。
「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。」
平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去する。
これこそが人類の究極の目標なのだと思います。
(横井盛也)