- 2013-01-02 (水) 15:49
- 横井弁護士
忘年会の2次会はカラオケが定番です。
当事務所もたった5人ではありますが、焼肉の後、カラオケへと繰り出しました。
カラオケが流行りだしたのは、私が高校生の頃。
大学生の頃に大ブレークして街のあちこちにカラオケスナックができ、悪友と夜のネオン街に繰り出しては、自分の美声?に酔いしれたものです。
以後、カラオケとの付き合いがずっと続いており、自称、元祖カラオケ世代といったところです。
若い頃は、歌謡曲全盛時代。70年代、80年代のヒット曲ならたいてい歌えます。
最近の曲は、歌詞に大した意味もなく、テンポが速く、コード進行も多様化して実に覚えにくい。で、平成のレパートリーが増えないというのが悩みです。
でも、いまだに昭和の歌謡曲は、多くの若者に歌い継がれているのです。
昭和の歌謡曲を支えた作詞家阿久悠は不世出の天才です。
たった7年半で芸能界からきっぱりと姿を消した山口百恵の生き方は立派です。
「津軽海峡冬景色」の冒頭などは芸術というほかありません。
「♪上野発の夜行列車おりた時から青森駅は雪の中~」。
たったこれだけの文字の中にさまざまな情景や旅情が凝縮されています。
凡人の私が作詞したら、
<多くの人が行き交う賑やかな東京・上野駅で夜行列車に乗りました。単調なレール音をBGMに眠って長い夜を過ごしました。朝になって青森駅に着いてみたら一面が真っ白で雪が降っていました。人がいなくてさびしい限り…>
となることでしょう。
阿久悠の偉大さがわかります。
私の中の山口百恵の肖像は20歳前後のまま美しく凛としています。
「♪あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ~」、「♪今の言葉プレイバック、プレイバック」、「♪アン、アン、アン、イミテーション・ゴールド~」。
聴けば、熱狂していた若かりし頃の自分を思い出すのです。
AKB48や嵐もいいですが、私はこれからも昭和の歌謡曲を歌い続けることでしょう。
昭和の歌謡曲の輝きは永遠に不滅なのです!
(横井盛也)