- 2012-10-03 (水) 16:55
- 横井弁護士
親の「頑張れ」の一言に逆上し、事件を起こした少年がいました。
「頑張れ」という言葉は、あと一歩で目標に到達するという状況で使って初めて励ましとなるのであり、次の一歩すら見えないという状況において使うことは残酷な否定にしかなりません。
「頑張れ」には、「このままではいけない」という意味が多分に含まれているからです。
先行き真っ暗という状況の中で、「頑張れ」という現実を突きつけられて、心が折れないはずはありません。
(ただし、この場合の「頑張れ」はキレるきっかけに過ぎず、背景には、様々な原因や理由が存在します。)
これまで少年事件の弁護人や付添人を数多く手がけてきました。
そしていろいろな少年に出会い、様々なことを考えさせられてきました。
人は一人では生きられません。生まれた時から人間関係の網の目を広げて行き、その網に支えられるように生きていきます。
でも、その人間関係を構築する能力は人それぞれであり、どうしてもうまくいかない場合もあります。
核家族化が進み、異なる世代間の交流で〈守る〉〈守られる〉といった関係を構築する機会がめっきり少なくなった時代です。
同世代が集う閉じられた学校の中では、〈競う〉か〈群れる〉かの選択肢しかありません。
群れにうまく順応できなかった場合、とたんに居場所を失い、浮きこぼれてしまいます。
第1次産業や第2次産業が中心だった頃は自然と向きったり機械と相対したりすることで対人関係から逃れる時間を持つことが容易でした。
しかし、第3次産業が中心の現代においては、複雑な対人関係を抜きにして生きていくことは不可能です。
対人関係をうまく構築できなかった場合、とたんに居場所を失い、浮きこぼれてしまいます。
現代ほど対人関係のストレスに悩まされる時代はありません。
そして人間関係の輪の中から浮きこぼれたときに悲劇が起きます。
非行、いじめ、自殺といった問題の根には、こんなディス・コミュニケーションの問題が深く関わっていると私は考えています。
では、どうしたらよいのでしょうか。
依頼者とともに答えを求めて、悩み続けたいと思います。
(横井盛也)