- 2015-06-19 (金) 19:35
- 横井弁護士
国会で集団的自衛権の行使容認を盛り込んだ安全保障関連法案が合憲か否かについての”神学論争”が続いています。
現行憲法9条の解釈をめぐる論争は、ことあるごとに繰り返されてきました。
現行憲法の抱える構造的な欠陥であり、今後も知的アクロバットを駆使した無用な論戦が繰り広げられることは間違いありません。
日本も自立した普通の国になるべく、今こそ、憲法を改正すべきです。
そもそも1946年6月の第90帝国議会衆議院帝国憲法改正案特別委員会において吉田茂内閣総理大臣は、
「第9条第2項に於て一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も抛棄したものであります。従来近年の戦争は多く自衛権の名に於て戦われたのであります。満州事変然り、大東亜戦争然りであります」
と自衛権すら否定するような発言をしています。
1950年に朝鮮戦争が勃発し、米ソの冷戦が深刻度を増す中、ポツダム政令により警察予備隊が組織され、1954年に自衛隊が創設されるのですが、当時の憲法学者は、そのほとんどが自衛隊の存在を違憲と考えていました。
そして現在よりもずっと多くの市民が自衛権の存在に懐疑的な思いを抱いていたのです。
しかし、「戦力をもたない軍隊」といった矛盾を抱えながらも自衛隊は、その後もその存在意義を増し続け、今となっては自衛権を否定するような現実離れした言説は聞かれなくなりましたし、自衛隊の存在に疑問を挟む議論もなくなりました。
自衛隊は、国際社会のリスクと真剣に向き合うことで我が国の平和と安全に大きく貢献してきたのだと思います。
この間、国際情勢の変化の中で、PKO法、周辺事態法の成立に際してぎりぎりの憲法解釈論議が行われてきました。
憲法解釈は国際情勢の変化の中で変遷することは当然であり、伝統的な解釈に拘泥し続けるだけでは、平和や安全は守れません。
中国が軍備を増強し、北朝鮮が核やミサイルの開発を進める中、米国を軸としたパワーバランスは崩れつつあります。
我が国を取り巻く情勢は刻々と変化し続けているのです。
集団的自衛権は、砂川事件最高裁判決のご都合主義的な曲解によらなくとも現行憲法の解釈によっても可能だというのが私の持論です。
現行憲法は、その前文で「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と平和的生存権を謳っています。
平和を我が国の安全という視点だけでなく、全世界の国民の権利と捉え、積極的に世界の平和を構築していくことを宣言しているのです。
そのために最大限の努力をすべきことは当然のことであり、武力攻撃を受けた国家を他国と協力して共同で防衛を行うこと、すなわち国連憲章51条で明文化された集団的自衛権を行使して世界の平和に貢献することは理に適ったことだと思うのです。
といっても、これも独自の知的アクロバットに過ぎません。
神学論争に決着をつけるべく、憲法を改正すべきです。
日本国憲法改正についての過去の当ブログです。
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(横井盛也)
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